サーチエンジン一発登録


「一発太郎」サービス終了のお知らせ


新規登録の終了につきまして(2015年1月17日)

「神戸」を中心として阪神地区を襲ったあの「阪神・淡路大震災」からちょうど20年を迎える本日ですが、誠に勝手ながら新規登録を終了させて頂く事になりました。        
       
これまで長年ご利用頂きました皆様にはご不便をお掛けします事をお詫び申し上げます。        
また、Yahoo Japanさえ無かった当時から丸19年間もの間ご利用頂き、暖かい応援を頂きました事、心から感謝申し上げます。
末筆ではございますが、これからも皆様のホームページがより多くの人に閲覧されます事を心よりお祈り申し上げます。
「一発太郎」誕生秘話
(以下の記事は1996年年9月25日に書き、毎年1月17日加筆修正してきたもので、最終の更新は2015年1月17日です。)


「一発太郎」について、その運営が会社等の営利法人でされていると思っている方も多かったのですが、 一発太郎開発当初(1996年2月)から1999年1月まで「一発太郎」のシステム開発者一個人において開発を行い、 そして運営の一切を行って来ました。

しかし、1998年からの「一発太郎」利用者急増に伴い、それ以前からの個人1人での開発・運営に限界をきたし、 1998年10月には運営サーバーのハード的な問題も出て来ました。 そこで、運営体制について、運営を補完する任意団体を発足させました。名誉協力者をはじめ「一発太郎」利用者からなる運営委員会のメンバーは、 主として「一発太郎」を利用した時のサーチエンジンへの登録状況の結果報告、 新しいサーチエンジンの機能報告、「一発太郎」への新機能の提言、新たに追加した機能の動作検証報告や その他運用上の問題点の洗い出しを行い、実際にシステムの開発を行う私にその内容を連絡して頂いています。(2008年まで)
「一発太郎」も大規模なシステムとなり、その運営時における問題点の発見やいわゆるプログラムの不具合についても、 プログラム開発時のテストでは、1人ではとても十分とは言えない部分もあり、この部分を補完してもらおうと言う事ですが、 実際には、これはプログラムを開発するのと同等以上に重要な事でした。


〜「一発太郎」誕生のきっかけは・・・〜

私の街「神戸」を襲ったあの「阪神・淡路大震災」からちょうど1年が経とうとする頃、被災した中小企業の為にホームページを作成する事が多くなってきました。 当時の被災企業は、藁をもすがる思いが強かったのか、他のどの地域よりも早くホームページでの情報発信に熱心でした。 作成後のホームページ開設の告知の為のサーチエンジンへの登録依頼については、当初中小企業の方々に行って頂く予定でした。 しかし、大半の方々インターネット初心者でありよく分からないという事で、 結局私自身がこれらのホームページの紹介をサーチエンジンへ登録をする事になったのです。

当初、国内にどのようなサーチエンジンがあるかを調査し、いざ登録となると 「個々のサーチエンジンへ何回も同様の事柄を登録しなければならない。」等の問題があるのに気が付きました。 すぐに一括登録をしてくれるページを見つけるものの、あくまでも個人的な感覚として

  • 詳細の入力項目がやはり重複している為に、入力行為が煩雑である。
  • 画面が複数に分かれている為に、全ての入力に時間がかかる。(その分、回線の接続時間が長くなる。)
  • 登録先のサーチエンジンにビジーが多く、せっかく入力した内容を次回に再度入力しなけらばならない。(これが一番悲しかった。(T_T))

と言う事が気になり、(私が不器用なのか、実際に複数のサーチエンジンへ登録するのに2時間弱を要した。) 自分用のサーチエンジン一発登録プログラムを作成する事にしたのです。 そして、「阪神・淡路大震災」からちょうど1年後の平成8年2月(1996年2月)に最初のバージョンが完成したのです。

私自身の気持ちとしては、当初は一般公開するのではなく、本当にごく身内の中小企業の方々に使ってもらうつもりでしたし、 一般公開する時には、ある程度責任を持てなけらばならいないと考えていました。 しかし、後でもお話しする女の子に強く薦められて、 そして、その人に今のロゴと派手な背景を作成してもらったのをきっかけに一般公開するようになったのです。


〜「一発太郎」、それは・・・〜

「一発太郎」を公開して暫くすると、その存在が多くの方々に知られ、急速に利用ユーザーが増えて来ました。 しかし、「一発太郎」の原点は、あの、どうしても忘れる事の出来ない1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に神戸を襲った大地震なのです。 あの地震から神戸が復興していく事、とりわけ中小企業が復興していく事を願いスタートしたのです。 しかしながら残念な事に神戸の中小企業の多くが、1995年(平成7年)夏から翌年夏までの1年余りの間はインターネットどころでは無く、 結局、一般の方々に使用して頂けるように公開をする事になったのです。

しかし、その後の「一発太郎」の開発・運営の原動力も「私のあの日に対する思い」で有る事には何等変わりはありませんでした。


〜「一発太郎」の名前の由来と背景の画像について〜

このホームページの名前や背景は、かなり簡単に決まりました。 名前は、当初「一発野郎」(この名前のホームページが同じ神戸から出ていますが何等関係はありません。) にしようかなとも思いましたが、「一発野郎」っての言うのも、なんか縁起が悪いと思い直し、すぐに「一発太郎」と命名しました。(^^ゞ

一般公開するにあたりロゴや背景が必要だったのですが、これらはあの阪神大震災の日に3時間以上も生き埋めになっていて九死に一生を得た女の子に作成して頂きました。 その子が、ロゴを作成するにあたってのリクエストを私に求めて来たのですが、ちょうど命名した直後で、私の心の中には、 日本の国旗の色である赤と白のイメージがありましたので「赤と白にして欲しい。」とリクエストしたのです。

そして、作成して頂いたのが以前のロゴと背景なのです。赤と白のリクエストを忠実に守ってくれたのはロゴだけで、 背景については、すごく派手で文字の配色に苦労するのは承知の上でしたが、 せっかくロゴと背景を作成して頂いたので、それをそのまま使う事にしました。 このロゴと背景は、非常に多くの方から絶賛のメールを頂きました。
(以前のロゴについては、ある関係の問題からその利用を取りやめましたが、現在のロゴも同じ方に作成して頂きました。)

どうしてこの背景なのかを考えた時に、その意味はすぐに分かりました。 この背景を作成したのは震災後1年後でしたが、一度体が覚えた恐怖は、たった1年の年月ではとうてい拭いさる事が出来ません。 私自身、1年後の当時も1週間に1日以上は、同じ明け方の時間帯に体が勝手に震え出す事がありました。        (実は20年を経過した今でも、同じような時期、そして寒さを感じると勝手に体が震え出す事があります。) 彼女は、震災当時に全壊した家の下敷きになり火事の炎の恐怖に脅えながら、そして救出されたその日の夜、 恐くて建物の中に入る事が出来ず一晩中、凍り付く寒さの為に一睡も出来ずに小学校の校庭で燃え盛る焚き火を見ていたそうです。 ちょうど、私もその頃、彼女を含め安否の分からない人々を思いながら、あちこちで起こる大火災の照り返しで真っ赤に輝く神戸の夜空を見ていました。

そうです、この背景は、正しくあの時の神戸の夜空なのです。 今でも「一発太郎」の背景を見ていると、あの日の事を鮮明に思い出します。 本当にごく希に、この背景に対して変更の要望や苦情を頂きましたが、そういういきさつもあり、震災から丸20年の最後までこのデザインのままで公開させて頂きました。